HSCの生活

HSCの育児は大変だった?よかったことは?自分の母にインタビューしました

敏感な子を育てていると、一般的な子を育てるのとはまた違った悩みを抱えるのではないでしょうか?

私が子どもの頃はHSCやHSPの概念はまったくなく(今もあまり知られていませんが)、親はどう考えて育てたのだろう?と考えることがあります。

私はとてもこわがりで敏感で、学校では神経質な子と言われていました。今思うとHSCでした。

もちろん大人になった今も敏感な気質に変わりはありませんが、そんな自分でいい、むしろ敏感でよかったと思っています。

今こうして健全な自己肯定感を持てるのは、親が「普通」になるように私を強制したりしなかったからだと思っています。

でもきっと悩んだはずです。

手のかかる子だったそうですし、学校に行かれなくなった時期もあったからです。

それで先日、母にインタビューしてみました。

「細かいことはもう忘れた」そうですが、「大まかなこと」はたくさん話してくれたので、書いてみようと思います。

※記事の体裁のためにセリフは敬語に直してあります。

赤ちゃんの頃

私は赤ちゃんの頃から敏感で、なかなか寝ないし寝てもすぐ起きたと聞いています。

私も4年前に娘が産まれてそれを体験し、その大変さは骨身にしみています。

詳しく聞いてみましょう。

私はどんな赤ちゃんでしたか?

とにかく泣き止まない赤ちゃんでした。

あやしても泣きやまないので永遠に感じました。

オムツでもない、お腹もすいていない、熱くも寒くもない・・・

何をしても泣き止まず、休む暇もなくて悩みました。

親戚のおばさんとかに「疳の虫が付いているから神社にお払いに行ってくるといい」と言われて、おんぶして一人で神社の前をうろうろしていた時期もありました。

怪しい女に見られたと思います。

あねごん
あねごん
なんかすいません・・・
今でも親戚の誰かに会うと、一言目には必ず「ほんとによく泣いてたよねぇ、なんで?」と茶化されます。

他に困ったことは?

人の家に入ると泣き出すので、親戚や友達の家に行っても私だけ赤ちゃんを抱っこして外にいなければならなかったのがつらかったです。

出かけた先ではどこに行っても泣いていたので、外出がとにかく大変でした。

それに家族以外の人には抱っこされませんでした。

少し大きくなってお話ができるようになっても、何かのことで泣き出すと話せなくなる子でした。ただ泣くだけ。

なんで泣いているのか聞いても何も答えてくれず途方にくれました。

今も聞きたい。あの時なんであんなに泣いてたの?

あねごん
あねごん
覚えているのは電信柱が怖かったのと、人の家の匂いや空気感が嫌だったこと、とにかく不安な気持ちが強かったですね。
それにしてもとにかく泣いていたんですね・・・なんかすいません(二回目)

あと幼児期にアトピーを発症してからは、毎週皮膚科に行きました。

布団が血だらけになるほどでかわいそうでしたね。

食事療法も漢方薬も健康食品もアルカリ水や酸性水もステロイド薬も使いましたが、アレルギー体質はどうしようもありませんでした。

医療費がすごかったです(>_<)

アトピーは大きくなったら良くなってきて本当によかった。

赤ちゃん返り

私が2歳半の時、妹が産まれました。名前は「いもごん」です。(私はあねごんです)

これが家庭内での実際の呼び名だった時期があります。(命名:父)

のちに省略されて、私は「ごん」、妹は「こごん」になりました。

話がそれました。本題に戻ります。

妹が生まれた時の反応は?

赤ちゃん(妹)を抱っこして久しぶりに帰宅した時、あなたは本当に本当に悲しそうでした。

久しぶりにやっとお母さんに会える!と思ったら、腕の中には新人がいるんですものね。

その時の本当に悲しそうな表情を見て「ああ、かわいそうなことしたなぁ」ってつくづく思いました。

幸い下の子は良く寝てくれる手のかからない子だったので、あなたと長い時間を過ごして、とにかくいっぱい抱っこするようにしました。

私と話さなくなったり、睨みつけるように見てきたり(でもその目の奥には悲しみがいっぱい溢れていました)、癇癪を起したり、入浴拒否をしたり・・・

まあいろいろありましたが、とにかく甘々に甘えさせることを心掛けました。

厳しく叱らない、その代わり「寂しいんだね」と言う気持ちを持って抱っこして気分を変えてもらっていました。

そういう気持ちは小さくても伝わると思ってやっていました。

でもその時は落ち着いても、赤ちゃん(妹)を抱っこするとすぐにまた悲しそうな顔になるので、繰り返し繰り返しやりました。

愛情の器が目の粗いザルのようでした。

入れても入れても出て行ってしまう。

だから入れ続けました。

一見すると長女ばかり甘えさせているようですが、姉妹でも愛情を入れる器の種類が全く違うので、同等の愛情を注ぐには手間と時間のかけ方を変えなきゃいけないと思っていました。

そうして初めて同等になるんです。

あねごん
あねごん
手のかからない赤ちゃんでいてくれた「いもごん」にも、私は感謝しなくてはいけませんね。

お姉ちゃんなのにとは思わなかった?

あねごん
あねごん
私は一度も「お姉ちゃんなんだから」と言われたことがありません。なにか信念があったのですか?

あなたは好きでお姉ちゃんになったわけじゃなくて、親がほしくて2人目を作ったんだんだから、責任取るのは上の子じゃなくて親だと思ったのです。

1人目のつらい感情も含めての2人目だったんです。

小学校時代

幼稚園は中退していましたので、小学校は心配だったと思いますがどうでしょうか。

入学は心配でしたか?

あなたは行動が遅かったから、みんなについていけるかとても心配でした。まあ良く言えばおっとりしていたんです。

早い行動が苦手で、階段など後ろからくる子に急かされたりしたら落ちてしまうのではと心配でした。

しょっちゅう学校の周りをうろうろして、泣き声が聞こえないか耳をそば立てていました。

あねごん
あねごん
ここでも怪しい女になっていたわけですね。

たしかに自分でもポーっとしていたというか、反応が鈍かった記憶があります。

先生の言うことがすぐには理解できず、何日も考えてやっと分ったり、突然言われるとびっくりしてフリーズしたり、主語がない文章や皮肉を理解することが難しかったように思います。

そういった学力面や理解力の心配はしなかったんですか?

それを分かるように教えるのが先生だし、最初から分かる必要はないと思っていたのでそこは心配しませんでした。

普通に読み書きできたしお話ができていたから、最初はそれで十分。

それにあなた、いつからか急にキレキレの皮肉ばかり言うようになったじゃない!

あねごん
あねごん
確かに・・・
偉そうに学校や世の中を批判したりしていた時期もありましたね。

だからそういうことは大丈夫なの、私は急かされて階段から落ちる方が心配でしたよ。

不登校

集団行動がつらく先生と合わないこと、クラスの人数の多さや騒音に圧倒されて疲れることなど、多くのストレスで学校は大変でした。

原因不明の腹痛が毎日続き、学校に行けなくなる時期もありました。

不登校の時は焦ったり心配したりしましたか?

焦らなかったと言えばうそになります。

内心では「このままでいいのかな?」と少し不安に思っていました。

でもそれを子どもに悟られちゃいけないとも思っていました。

子どもは親が不安になっているともっと不安になるし、親に気を遣ってさらに苦しむかもしれません。

子どもを信頼しようと思ったんです。

「学校に行かなくてもこの子は絶対に大丈夫」と思い込むことにしました。

行きたくないものを無理に行かせることはできないし、子どもの選択に任せる方が健全な気がしていました。

行かれないのには理由があるし、行きたくないという子どもの人権だって尊重されるべきですからね。

あねごん
あねごん
ありがとう、これはとても助かりました。

不登校に対する周りの反応は?

何も知らないくせにいろいろ言う人はいましたね。

「仮病なんじゃない?」などと言う大人もいました。たとえ仮病だとしても何が悪いんでしょうかね?

親の私が許してるんだから外野は口出すなって思っていましたよ。

でもねよく考えると、そんなこと言う人の子どもはうちの子と全く性格が違うんです。

だから参考になりません。

うちの子のことを詳しく知らないんだから、全く意に介す必要なし!

もし私がその言葉に影響されて、あなたを無理やり学校に行かせたとしますよ。

それであなたが一生消えない深い傷を負っても、周りは絶対に責任取りません。

責任は100%親や本人が取らなきゃいけないんだから、そんなリスク取ってない人の意見は聞かなくてよろしいです。

だいたいね、学校なんて興味がわけばまた行くかもしれないんだから、不登校は大騒ぎするようなことじゃないと思いますよ。

面白くないから行かないの。子どもはシンプルで擦れてないんです。

HSCを育ててよかったことは?

これを聞くのはなんか恥ずかしいですが・・・

私を育ててよかったと思うことは?

本当に面白い子でしたよ。

親の発想にはないことを言ったり、ハッとさせられるようなことを言うのでよくびっくりしました。

小さい頃は本当に手がかかったけど、思春期には周りの子たちよりずっと早くに大人びて達観していましたね。

こんなに面白い子を育てられてよかったですよ。

あねごん
あねごん
思春期にはそれなりに自己肯定感が育っていて、自分と他人は違うから無理に合わせなくていいと感じていました。
それは小さい頃に「愛情の器がザル」だと気づいて対応し続けてくれた母のおかげだと思っています。

ちなみに小さい頃ほとんど手がかからなかった次女いもごんは、思春期(反抗期)にとても手がかかり大変でした。

子どもはみんな、いつかどこかの段階で、しっかり手をかけなければならない時期というのがあるんだと思います。

その時期が違うだけです。

あねごん
あねごん
なんか私の娘は思春期もずっと手がかかるような気がしているんですけど・・・

それはそれでその時に対応すればいいことです。

あねごん
あねごん
はいっ!頑張ります。

HSCを育ててつらかったことは?

これはあるんじゃないですか?
私へのダメ出しでもいいですよ。

さっさと親離れしやがって!

つらかったことは特にないですよ。

親というのはどんなに苦労しても、子どもがちゃんと生きていてくれればそれでいいんです。

ちゃんとした大人になれば、過去に手がかかったことなんてきれいに忘れてしまいます。

ただね、あっさり親を必要としなくなるのは寂しいものですよ。

あなたはすべて自分で決める!相談をしない!

二十歳を過ぎてからはさっさと外国暮らしを決めてきたり、やっと帰ってきたと思ったら相談もなく都内で暮らすことにしたり!

信頼しているから止めはしないですよ、でもあっさりしすぎです。

ちょっとは実家に未練を感じなさいよ。

あねごん
あねごん
あれ、私なんか怒られてる??

HSCを育てる親にメッセージを

今、敏感な子を育てている人に何かメッセージはありますか?

HSCはよく知らないけれど

私はHSCという言葉はよく知らないから、詳しいことは分かりません。

でも人とは感じ方の違う手のかかる子を授かったので、人生が豊かになったと思っています。

HSCでもそうでなくても、子どものことを一番よく知っているのは親なので、あまり周りは気にせずにその子が必要としていることだけを考えるのでいいんじゃないかと思います。

あとは何があっても「この子は絶対大丈夫」という信頼は大切だと思います。

子どもを信頼すると、子どもも親を信頼してくれます。

子どもが不安な時は特に「あなたは大丈夫だよ」と言葉や態度に出すことも大切だと思っています。

学校に行けない時期も、学校に行けるようになることをゴールにしない方が、良い親子関係でいられます。

人生のゴールは学校ではありません。みんなと違う道を通ったって、ちゃんと大人になれればそれでいいんじゃないかと思います。

どの道を通って大人になるかは、そんなに大ごとではありませんよ。

最後に

とても真面目にインタビューしたように聞こえますが、実際はとてもふざけた感じの家族です。

「普通」の型にはめない親で、私はとても助かりました。感謝しています。

そうでなかったら、簡単に自尊心は砕かれいつまでも引きずってしまうタイプだからです。

そういうHSPの方、たくさんいらっしゃいますよね。

私も今、人とは感じ方の違う手のかかる子を育てていますが、できるだけ型にはめず自己肯定感を持ってもらえるような育て方をしたいと思いました。